21.命を感じ,親しむ

身近に動植物がいない環境ではこどもが成長過程で命を実感として理解できず,それがために近年のこどもが他者を傷つけたり,他者に愛情をもてないという問題が生じているのではないかという言説を目に耳にするようになって久しいかと思います。
身近に動植物がいないから・他者の痛みを分かち合えないこどもになるとは思いませんが,命を感じ,命に親しむことはこどもたちの感性や心情を豊かにしますし,生き物の世話などを通して命に責任を持つことを学ぶこともできるでしょう。

*園のご要望により、加工しない写真を掲載しています。

写真の園では,園庭で鶏やウサギ,ヤギ,犬,鳥を飼っています。犬と鶏は放し飼いにされていて,園庭でめいめい過ごしています。こどもたちがかわるがわる犬と一緒に遊んでいる様子が見られます。

この園では園庭の一端が山裾に接しており,こどもたちが草むらを探して虫取りをしています。生き物がいつも身近にいる環境で育ったこどもたちの多くは,バッタ,コオロギなどを触ったり,捕まえたりすることを怖がりません。こうした環境のなかで,こどもたちは生き物が生き物を食べるということも実体験として知り,理解します。やがては自分たちも同じ環の中に生きていることを理解し,自分たちの食卓にのぼるものへの感謝や畏怖の念も感じるようになるでしょう。

こどもたちが,ケースのカブトムシをじっと見つめています。このカブトムシは,こどもたちが保護者らと一緒に卵から育てた個体で,彼らは羽化したときから毎日朝昼晩とケースが目に入る度に飽きもせずに眺めています。やがてカブトムシには一匹また一匹と寿命が来て,動かなくなります。5歳のこどもは,動かなくなったカブトムシを見てつぶやきました。
「どうしてカブトムシは,みんな“いのちの時間”が違うのかな?」
「カブトムシは,アナグマさんと同じ,長い長いトンネルの向こうに行ったんでしょ?」
これらはそれぞれ,命や生と死について描かれた絵本『いのちの時間』(*)と『わすれられないおくりもの』(**)にあるフレーズがもとになったつぶやきです。
こどもが生き物とのふれあいを通して命や生と死を感じ,それを既知の物語や言葉と結びつけて理解していっていることがわかるエピソードです([16.物語が編み込まれた環境],[36.知識や物語の泉に触れる])。

*ブライアン・メロニー著,ロバート・イングペン画,藤井あけみ訳『いのちの時間 −いのちの大切さをわかちあうために』,新教出版社,1998
**スーザン・バーレイ著,小川仁央訳『わすれらないおくりもの』,評論社,1986